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東京地方裁判所 昭和52年(つ)5号 判決 1977年5月06日

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一  請求の趣旨及び被疑事実

一  請求の趣旨

請求人らは、被疑者の後記被疑事実記載の所為は、公務員職権濫用罪(刑法第一九三条)に該当するものとして、昭和五一年一二月三日、最高検察庁に告発したところ、同検察庁から移送を受けた東京地方検察庁検察官は、昭和五二年三月一八日、被疑者を不起訴処分にしたが、右処分には承服できないので、刑事訴訟法第二六二条第一項に則り、事件を裁判所の審判に付することを請求する。

二  被疑事実

被疑者は、裁判官に在任中であつた昭和四七年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの間、東京地方裁判所八王子支部判事補(兼東京家庭裁判所八王子支部判事補)に補され、裁判を行う職権を有していたものであるが、昭和四九年七月二四日、北海道網走市字三眺官有無番地所在網走刑務所において、同刑務所所長程田福松に対し、裁判官の肩書のある名刺を示したうえ、「職務上調査したいので来た。宮本顕治氏(現日本共産党中央委員会幹部会委員長)の確定罪名、刑期、入出所の年月日などを知りたい。」等と、自己が担当している裁判を遂行するのに必要であるかのように装つて、同所長に右の事項の回答を求め、さらに、「ご存知だと思うが、司法研究というのがある。その資料にする。」等と申し向けて、同所長が回答するため取り寄せた前記宮本に関する「身分帳簿」のメモ及び写真撮影の許可を申し出て、現職裁判官としての職務上の必要によるものと誤信した同所長をしてこれを許可せしめて、右身分帳簿につき、メモ及び写真撮影をし、さらに、約一週間後、同刑務所庶務課長南部悦郎に電話をかけて、身分帳簿編綴の診断書の写しをゼロツクスして送付するよう求め、右南部をして、同庶務係長が筆写した右診断書の写しを郵送させて入手し、もつて、職権を濫用して前記程田らをして義務なきことを行わしめたものである。

第二  当裁判所の判断

一  認定事実

被疑者の検察官に対する供述調書(四通のうち黙秘調書を除く三通)、程田福松の検察官に対する供述調書(三通・一通には網走刑務所庶務課主管の電話書留簿の写し添付)、勝野鴻志郎・深沢辰男・田中正行・長屋昭次・森律夫及び南部悦郎の検察官に対する各供述調書、検察官作成の「被疑者任意提出の録音テープの内容について(報告)」・「被疑者鬼頭史郎による封書の任意提出等について(報告)」・「網走刑務所から任意提出を受けた物について(報告)」・「差押えた物について(報告)」(宮本顕治の身分帳簿の写し添付のもの)・「所要時間の測定について(報告)」とそれぞれ題する各書面、実況見分調書、東亜国内航空営業部管理課長及び東京地方裁判所八王子支部長作成の「捜査関係事項照会について(回答)」と題する各書面、検察事務官作成の昭和五二年二月二四日付電話聴取書及び検察官作成の昭和五二年二月二八日付電話聴取書を総合すると、被疑者は、裁判官在任中の昭和四九年七、八月当時、東京地方裁判所判事補に補され、同地方裁判所八王子支部勤務を命ぜられ、同支部民事第三部において、特例判事補(判事補の職権の特例等に関する法律第一条)として民事事件担当のいわゆる単独制裁判所を構成していたこと、被疑者は同年七月二〇日ころ、北海道網走市字三眺官有無番地に所在する網走刑務所の所長程田福松(以下、程田と略称)に対し、「東京地裁八王子支部民事第三部の判事補の鬼頭だが、終戦当時網走刑務所に収容されていた政治犯収容者について調査したいから、二、三日中にそちらへ行くのでよろしく頼む。」と依頼の電話をかけ、同月二三日、自己の担当する仲介料請求事件に関する証拠調のため札幌市に出張し、同市内所在の札幌地方裁判所において、その証拠調を行つたあと行先も告げずに同行した書記官と別れたこと、被疑者が翌二四日午前、同市内所在の丘珠空港から、再び、程田に電話をかけ、「共産党の宮本顕治氏が終戦直後、刑の執行停止で網走刑務所を出所しているので調査したい。これから、そちらへ行くのでよろしく頼む。」と連絡したところ、程田から、矯正管区の了解を取るよう言われたゝめ直ちに、札幌矯正管区に電話を入れ、同管区第二部長森律夫(以下、森と略称)に対し、身分・氏名を告げたうえ、「終戦直後に刑の執行停止となつた者について調査したいことがあるから、網走刑務所に行くので刑務所の方へよろしく取り計らつて貰いたい。」と口添を依頼したこと、森は右の電話を受けた後間もなく程田に対し電話で被疑者からの依頼の趣旨及び差支えのない範囲で適宜調査に応ずるよう伝えたこと、被疑者はその後再び電話で程田に矯正管区からの連絡の有無を確認した上、これから飛行機で網走まで赴く旨伝え、同日午後女満別空港に到着するや、同所から重ねて程田に対し、網走に到着した旨電話連絡し、刑務所に向つたこと、程田は被疑者から刑務所に赴く旨連絡を受けるや同刑務所総務部庶務課長南部悦郎(以下、南部と略称)に指示し、宮本顕治に関する身分帳簿(以下、本件身分帳と略称)を文書庫から取り出させるとともに、被疑者の身分確認のため東京地方裁判所八王子支部民事第三部書記官室に電話を入れさせ鬼頭と称する判事補が同部に所属し現在北海道出張中であることを確めたこと、被疑者は同日午後二時三〇分ころ、一人で同刑務所に到着し、所長室において、「東京地方裁判所裁判官」との肩書を付した名刺を程田に手渡して自己紹介したうえ、程田が南部から受け取つた本件身分帳の記載内容について程田らに尋ね、更には被疑者自ら本件身分帳を閲覧し読み上げるなどして、それに記載されている前記宮本顕治に関する罪名・刑期・出所の年月日及び理由・健康状態等を了知したが一通り閲覧し終るや、程田に対し、本件身分帳の一部たる執行指揮書・釈放指揮書・執行停止申立て上申書等の写真撮影を申し入れたこと、これに対し、程田が被疑者に、改めて、本件身分帳閲覧の目的を問い正したところ、被疑者において「これはですね。私はあのー、治安関係事件なんかを研究しておりましてね。それで、御承知だと思いますけれども、司法研究というのがあるんですがね。」と答えたので、程田は、「これだけを発表するわけではないんですね。」と念を押し「そのようなことはない」旨の答を得たうえ、これを許したこと、被疑者は、所長室は暗いからとの程田の勧めに従い南部の案内で所長室の隣りにある会議室に移りそこで右の文書を写真撮影したこと、被疑者は所長室における被疑者と程田・南部らとの前記のようなやり取りを所携のシヨルダーバツクに入れた録音機で密かに録音していたものであること、被疑者は、右写真撮影後程田に挨拶することもなく同刑務所を去つたもので、その滞在時間は約三〇分余りであつたこと、程田は、被疑者が帰つた後の同日午後三時三〇分すぎころ、森に対し、被疑者が来所し同人の求めに応じて本件身分帳を閲覧させ同人がこれを司法研究の資料に使い外部には発表しないと確約したので二、三の文書を写させた旨伝えたこと、その後被疑者は同月二九日、南部に対し、前記の文書を撮影したフイルムを巻き戻す際一部を感光させてしまつたため本件身分帳の一部たる診断書・視察表・刑の執行停止の上申書の写しを送付してほしい旨電話で依頼し、南部は程田の指示を仰いだうえ、同刑務所総務部庶務課庶務係長長屋昭次に指示し右各文書を筆写させ同月三一日これを被疑者に郵送し、被疑者は同年八月上旬ごろこれを受領したこと、当時被疑者は、本件身分帳を調査・閲覧する必要のある事件を担当していたものではないこと、程田及び南部は被疑者がその担当する職務に関して本件身分帳を調査・閲覧するのであり、外部に発表するものではないと信じて、その求めに応じたこと等の事実が認められる。

二  刑法第一九三条の職権濫用罪

そこで前項に記載した認定事実が、刑法第一九三条の職権濫用罪(以下、本罪と略称)の構成要件を充足するか否かについて判断する。

1  およそ、本罪が成立するためには、公務員がその一般的・抽象的職務権限に属する事項につき、これを不法に行使すること、即ち実質的には正当な権限外に属する行為を形式的・外形的にはその職務の執行等正当な権限行使に仮託して行うことが必要である。それゆえ、認定事実につき、本罪の成否を決定するには、被疑者が本件身分帳の閲覧・写真撮影を為し、さらに、その一部の写しの送付を求めこれを受領することにより本件身分帳の存在・形状・内容を了知する権限を一般的・抽象的に有していたか否か、その権限を有していたとしても、被疑者がこの権限を行使したか否かを検討しなければならない。

2  よつて按ずるに、法務省矯正局長作成の「監獄法施行規則第二二条第一項等に規定する身分帳簿に関する事項について(回答)」と題する書面、昭和三六年一〇月二三日付矯正局長通達(矯正甲第九一〇号)、昭和四〇年四月一五日付矯正局長通達(矯正甲第三五六号)、及び民事訴訟法第二六二条・第三三三条に徴すれば、民事々件を取り扱う裁判所は、事件の処理に関し必要があれば、同法第二六二条所定の調査嘱託の手続により、当該身分帳簿を保管する監獄の長に対し、身分帳簿の存在・内容につき、調査嘱託を為し(この場合、裁判所自ら監獄に出向き嘱託をするという方法を採つても差し支えないであろう。)、その結果、身分帳簿の写し又は内容を要約したものの交付を受ける等してその内容を了知しうる権限、あるいは身分帳簿につき、同法第三三三条所定の検証手続をとり、当該監獄に出向いたうえ、身分帳簿の提示を求め、あるいは許される範囲内で写真撮影するなどして当該身分帳簿の存在・形状等を了知しうる権限(以下、まとめて本件了知権限と略称)を有し、従つてまた単独制裁判所を構成する裁判官も、いわゆる単独裁判官として、本件了知権限を有するものである。そうだとすれば前記認定の通り被疑者が昭和四九年七、八月当時、単独制裁判所を構成し民事事件を担当していたいわゆる特例判事補たる裁判官であつた以上、抽象的・一般的には本件身分帳の内容を何らかの形で了知する必要のある事件を担当する可能性があつたといわなければならないから、被疑者は右の意味で一般的・抽象的には本件了知権限を有していたと解すべきである。(もつとも、右の点について、被疑者が本件身分帳の内容等を了知する必要性の有無が問題となる事件を現実に担当している場合か、あるいは、さらに、具体的に調査嘱託等の手続を履践した場合に、はじめて本件了知権限を有すると解する見解もあろうが、本罪が国又は公共団体の司法・行政作用の適正という国家的法益を保護するばかりでなく、構成要件として「人ヲシテ義務ナキ事ヲ行ハシメ又ハ行フ可キ権利ヲ妨害シタトキ」との結果を要求していること、本罪につき準起訴手続という特別の制度が採用されていること(刑事訴訟法第二六二条)等からして、副次的にせよ、公務員の公正なる職務の執行を期待する一般人の行動の自由という個人的法益をも保護していると考えられるので、本罪にいう「職権」を右見解の如く厳格に解するのは妥当とは思われない。)

なお、被疑者は、所長室において、司法研究に必要な資料にするためと程田に受けとられるような言辞を述べて、本件身分帳の写真撮影の許可を求めていることは既に認定のとおりであるが、前記の法務省矯正局長作成の書面によれば、司法研究のため、一定の場合には身分帳の内容を了知しうるものの、司法研修所規程(昭和二二年一二月一日最高裁判所規程第六号)第六条第一項、被疑者の検察官に対する昭和五二年二月二二日付供述調書によれば、司法研究を委嘱されたもの即ち司法研究員は、裁判官に限定されていないし、しかも、裁判官といえども、当然に司法研究員に為ることができるのではなく、毎年、最高裁判所の募集に、研究テーマ・資料等を明らかにしたうえ、応募した者のうち、司法研修所所長から正式の委嘱を受けた者が、はじめて研究員たる資格を取得するのであるが、本件全証拠によると、昭和四九年七、八月頃、被疑者が右の委嘱を受けていなかつたと認められるので被疑者は右当時司法研究員として、身分帳の内容を了知しうる権限を有していなかつたことは明白である。

3  右のように、被疑者は、いわゆる単独裁判官として、本件了知権限を有していたものであるが、本罪が成立するためには、前述したことからすれば、更に被疑者が右権限を行使したこと、換言すれば、被疑者の行為が民事訴訟法第二六二条・第三三三条所定の調査嘱託あるいは検証の手続に仮託してなされたものであることが認められなければならない。そして右仮託があつたと言えるためには、少くとも、現に担当している特定の事件について必要なため右の手続により本件身分帳の提示・閲覧等を求める旨が相手方に表示されていなければならないと解するのが相当である。この点に関し、前記証拠中には、被疑者が「職務上」又は「職務上参考にするため」との言辞を使用したかの様な記載が存するが、当該供述者においても、その有無について確たる認識がなかつたり、自己がその様に受取つたにすぎない旨を他の供述部分で述べているものさえあり、それ自体不明瞭なものであるし、かつ又、他の証拠特に前記所長室におけるやり取りを密かに録取した録音テープの内容からみても、被疑者が右の言辞を使用したとは認め難いのみならず、本件全記録中には、被疑者が前記の手続により本件身分帳の提示・閲覧等を求める旨を前記森・程田・南部に対して表示していることを認めるに足りる証拠はない。(程田・南部は被疑者が担当する職務に関して本件身分帳を調査・閲覧するものと誤信していたものであることは既に認定の通りであるが、その誤信は、被疑者が現職の裁判官であつたこと、森から口添えがあつたこと、東京地方裁判所八王子支部民事第三書記官室に対する電話照会の際、被疑者が当時北海道に出張中である旨を告げられ網走刑務所に出張してきたものと即断したこと、被疑者の所長室での言動特に本件身分帳閲覧・写真撮影の目的が司法研究のための資料収集にあると受け取れる発言を信じたこと、被疑者がこれを外部に発表することはない旨確約していたこと等に基づくもので、被疑者が前述の民事訴訟法上の手続により本件身分帳の提示・閲覧を求める旨を表示したことによるものではない。)

以上のとおり、被疑者は本件了知権限を有していたものではあるが、行使の外形を装つたと認めることはできない。

4  そうだとすると、被疑者の前記認定の行為は(裁判官として極めて遺憾なものではあるが)その余の点を判断するまでもなく本罪の構成要件を充足するものとは認められない。

三  付審判請求の範囲

なお、請求人代理人ら作成の昭和五二年四月二三日付付審判請求理由補充書によれば、請求人らは、前記被疑事実を本罪に該当すると共に国家公務員法第一一一条・第一〇九条第一二号・第一〇〇条第一項違反の罪にもあたるとして、これについても付審判請求を為しているかのようであるが、所論の如く、本罪と右国家公務員法違反の罪が刑法第五四条第一項前段所定の観念的競合の関係にあるものとしても、刑事訴訟法第二六二条は刑法第一九三条乃至第一九六条又は破壊活動防止法第四五条の罪についてのみ、付審判請求を認めているものと解せられるので、右国家公務員法違反の罪については判断しないこととする。

第三  結論

以上説示のとおり第二の一に記載した事実及び被疑者がいわゆる単独裁判官として本件了知権限を有していたものであることは認められるが、被疑者が本件了知権限を行使したと認めるに足りる証拠はないので、本件被疑事実につき犯罪の「嫌疑なし」として被疑者を不起訴処分にした検察官の措置は結論において相当であり、本件請求は理由がないことに帰する。

よつて刑事訴訟法第二六六条第一号に従い本件請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

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